乙種≒乙類
取り繕うとする衝動に駆られ
触れる遊ぶ学ぶ

いつの頃に
それが不協たる概念から
解き放たれるのだろう

気が付けば
群集の視線に貫かれるのが
当然となっている奴ら

いつまでも
同じ路地をぐるぐる回って
大通りに辿り着く事が出来ない奴ら

蓋の開いたマンホールに足を取られ
そのまま転落していく奴ら

這い上がろうとする奴ら
そのまま
下水道探索に勤しむ奴ら

様々なメッセージが
この街に息づいている

触れるものの感覚は
多様的であるといえるのか

平衡感覚に偏りが生じた箱の中に映るのは
一つの判断基準であり
一握りの価値感

それが全てとばかりに
語る評論家とそれに追随する
方向知覚に無頓着な人々

基準となる有様が定まり
そればかりが有り難がられる
風潮と呼ばれる権力

まぁ、それはそれ
これはこれ

今更、意義を唱えるのも
不毛であると思えてきた
20数年目の春

このまま生活廃水と戯れながら
何か面白いものが流れてこないか
見守りながら過ごすのも
なかなかに
乙なものではないかと
思えてきたのです。
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2009.04.06